コスタ・デリチョーザ乗船記④寄港地・コルフ島(ケルキラ島)編
3日目、コルフ島に寄港。ギリシャに入るので、前日のうちに時計を1時間進めておく。深夜の時差調整も、船旅っぽくて好きなイベントのひとつ。
コルフ島での観光はアヒリオン宮殿と旧市街散策。寄港時間が短いので、午前中だけの半日ツアーで、昼食は船に戻ってから食べることになる。
アヒリオン宮殿は、オーストリア皇后・エリザベート*1のために建てられた宮殿。
コルフ島と聞いてすぐにピンとくる人の半数以上は、ミュージカル『エリザベート』を知っている人なんじゃないかと勝手に思っている。劇中、エリザベート(愛称・シシィ)が死んだ父親と歌う場面の舞台がまさにアヒリオン宮殿なのです。
劇中にも登場する中庭のアキレス像。先に別の立像を見つけて、「なんかイメージが違うなあ……」と思っていたら、ちゃんと想像通りのものがありました。像の前でペンとノートを手にして、「詩を書くシシィ」のイメージで写真を撮ったけど、仕上がりはどう見ても「道に迷ってる観光客」だった。残念。
アヒリオン宮殿の完成は1891年ですが、シシィは1885年頃から毎年のようにコルフ島に滞在しています。一方、1892年以降で長期間滞在したのは1895年だけ……。「手に入れるまでが一番大事」というのは実に彼女らしい振る舞いだとも思う。*2
1897年頃にはアヒリオン宮殿への興味をすっかり失って、家具のほとんどをウィーンに運び出してしまったらしい。
これはウィーンのシェーンブルン宮殿内にある馬車博物館で撮影した、エリザベートが滞在していた場所の年表。1891年に関しては本来の居住地であるはずのウィーンよりも長くコルフ島に滞在していることがわかる。
夫婦で馬に乗った写真や、皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世のレリーフのピルケースなど。シシィに関する小物類の展示が結構充実していた。
この写真、一見地味ですが本日のハイライト。
アヒリオン宮殿は、第一次世界大戦中は軍事病院として使われ、その後も、孤児院、カジノと何度も用途が変わっており、境遇はハンガリーのグドゥルー宮殿に通じるところがある。シシィが過ごしていた当時の面影のように見える部分も、もちろん100%その通りというわけではないだろう。
それでも、寝室に若き日のフランツの肖像画がかけられていたことがとても嬉しく、これは当時の再現、つまりはシシィ自身の意思だと私は思うことにした。*3
クルーズの宿命で、館内は終始大混雑していてブログに載せられるような写真はほとんど撮れなかったのだけど、大満足だった。
ただし、アヒリオン宮殿の満足度は、エリザベートへの関心と強い正の相関があるので要注意。19世紀末の宮殿を忠実に再現……はしていなくて、手元にあるものをありったけ並べた資料館としての色合いが強く、多分、シシィを知らない人が見たらいまいちピンとこないと思う……。シェーンブルン宮殿や王宮、あるいはグドゥルー宮殿のような、何にも知らない人が見ても「なんかすごい」と感じるタイプの施設ではないです。
アヒリオン宮殿の後は、旧市街で自由散策タイム。これがまた本当に素敵な街並みなのだけど、生憎の雨で傘もなく、あまり満喫できず……。サントリーニ島・アテネと比べると物価がすごく安かったので、石鹸などのバラマキみやげをガッツリ買っておけばよかったなーなんて気が付くのは後になってからのお話で。
細い路地もすごくいい感じです。雨で濡れた石畳、雰囲気は最高だけど容赦なく滑る。
雨が上がった後、海の透明度に驚いた。さすが「ギリシャ人が住みたい島ナンバーワン」と言われるだけのことがある。ちなみに写っているのは全く関係のない船です。
この日はフォーマルナイトで、クルーズプラネット主催のパーティーに参加した。GW明けの中途半端な時期だというのに、東京と大阪から、合わせて100名以上が同じツアーで乗船していてびっくり。ハネムーナー率がめちゃめちゃ高かった。パーティーではドリンクパッケージに含まれていないシャンパンがフリーなので最高です。ベリーニも美味しかった。こういうときはフェラーリじゃなくてシャンパンなんだなあ、ってそれもまた面白かった。同じイタリアでも、アリタリア航空は徹頭徹尾フェラーリ推しなので。
翌日はサントリーニ島に寄港します。ツアーの方とお話していると、サントリーニ島を一番楽しみに来たという人が多かったと思う。確かにとても美しい島でした……!